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大阪地方裁判所 昭和54年(わ)1783号 決定

主文

検察官の請求にかかる大阪府寝屋川警察署長作成の昭和五四年四月六日付鑑定嘱託書の謄本、清水達造作成の同月一〇日付鑑定書、被告人の司法警察員に対する同月一〇日付及び検察官に対する同年五月一八日付各供述調書について、いずれもこれを採用する。

理由

一主文掲記の各証拠について、検察官の証拠調請求に対する弁護人の意見の要旨は次のとおりである。

すなわち、前記鑑定書の鑑定資料となつた被告人の尿は、捜査機関(鑑定受託者)が裁判所から鑑定処分許可状の発付を受け、医師を介し被告人の膀胱内に導尿管(ネラトンカテーテル)を挿入して採取されたものであるが、かかる方法による尿の直接採取は医療行為としても例外的なもので、被告人に多大の屈辱感を与え人間の尊厳を害すること甚しいというべきであつて、他に代替手段の考えられもないのであるから、鑑定のための身体ないで検査の限界を越えるという他なく、また被告人において排尿の任意提出に応ずるのは極めて容易であるにかかわらず、これを拒んでいるのであるから不利益の受忍もやむを得ないとして、被告人の尿を強制的に採取することは自白を強要するのと大差なく憲法の保障する黙秘権を侵害するに等しいものであるから、これを許す右鑑定処分許可状は憲法三一条に違反しそれ自体違法である。仮にそうでないとしても、鑑定処分許可状によつて直接強制をすることはできず、被告人の真の同意のない限り刑訴法一三七条、一三八条の規定する間接強制のみが許されるものと解すべきところ、本件においては被告人の真の同意があつたということはできず同意のないまま採尿を強行されたものであるから、令状なしに直接強制がなされたものとして本件採尿手続は憲法三五条に違反する違法なものであるし、また右採尿は被告人の自ら排尿する旨の申し出を無視してなされたものである点にも違法が存する。したがつて、前記鑑定嘱託書及び鑑定書は、その鑑定資料たる被告人の尿の違法収集の結果作成されたものであり、前記被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書も右鑑定の結果によりはじめて作成されるに至つた「毒樹の果実」というべきであるから、いずれも違法な証拠として証拠能力を否定されるべきであるというのである。

二〈証拠〉によれば、本件採尿及び前記鑑定書等の作成経緯に関し、次のような事情の存したことが認められる。

1  寝屋川警察署は、昭和五四年四月二日午後八時三〇分ころ、溝口義勝に覚せい剤を譲り渡した被疑者として被告人を逮捕し、そのまま同署に留置したが、同署の警察官は、翌朝被告人の顔色が悪く疲れを訴えたことや、腕に注射痕があり同人には覚せい剤の使用歴もあつたことなどから、覚せい剤自己使用の嫌疑を持ち、被告人に対し尿を任意提出するよう説得し、同署の職員便所でビーカーに採尿するよう求めたところ、被告人は尿と偽つて水をビーカーの中に入れて提出した。

2  そこで寝屋川署では、翌四日の午前中に大阪地方裁判所に対し鑑定処分許可状を請求してその発付を受けたが、それには「先ず被告人に一定の容器内に採尿するよう命じ自然排尿を待つて採尿すること、その方法によることができない場合には寝屋川市北大利町三―一所在の森内医院の森内丈太郎医師をして被疑者の膀胱内に採尿管を挿入する方法により採尿すること」という条件が付されていたため、同署において被告人に同許可状を示して採尿方法を説明したうえ、前日同様ビーカーに採尿するよう求めたところ、同日午後四時五〇分ころ再び被告人はビーカーに水様のものを入れて提出したので、導尿の方法によることもやむなしと考えて、同署の警察官らが被告人を右森内医院に連れて行き、森内丈太郎医師に対し右許可状を示し、傷害を加えずに採尿できることを確認したうえ被告人の採尿を依頼した。それを承諾した同医師は、カーテンの衝立で仕切られた処置室に被告人を入れ、補助者の看護婦と二人でゴム管であるネラトンカテーテルを用いて被告人に導尿を施したが、被告人が医院に来る前に排尿してしまつていたので膀胱内に尿が残つておらず採尿することができなかつた。なお右採尿に際し、被告人が採尿前に右森内医師に対し「どうしても採尿しなければいけないのか。」と質問し同医師がこれを肯定するやりとりがあつた他は、被告人は一応同医師の指示に従つたため普通の患者に対するのとほぼ同様の方法で導尿が行なわれた。

3  寝屋川署は、翌五日午前一〇時ころ枚方簡易裁判所に対し鑑定処分許可状を再請求して前回同様の条件付でその発付を受け、再度同署において被告人に同許可状を示しビーカーに採尿するよう求めたが、午後五時近くまで待つても被告人が排尿しないため、同署の警察官らが被告人を再び森内医院に連れて行き、同所の前記処置室内で森内医師が妻を補助者とし、普通の患者に対すると同様同女が被告人の足を押え導尿を施した。被告人は、この時も前回同様医師の指示に一応従い、恥ずかしそうにもたもたしながらも自ら下着を脱ぎ診察台に上つたもので、処置中も格別の抵抗を示すようなことはなかつたが、脱衣前に処置室の床上に一〇〇CC以上の排尿をしてしまつたため、少量の尿(約三〇CC)しか採取することができなかつた。

4  寝屋川警察署においては、翌六日付で、大阪府警本部科学捜査研究所技術吏員清水達造に対し、前記採取にかかる被告人の尿を鑑定資料として同尿中の覚せい剤含有の有無等について鑑定を嘱託し、右嘱託に基づき同人は右尿につき鑑定を行ない、同月一〇日付で前記鑑定書を作成したものである。

三そこで検討するに、捜査機関が覚せい剤使用罪の証拠資料とする目的で被疑者の身体から尿の強制採取をすることは、その性質上鑑定のために必要な処分としての身体検査(刑訴法二二五条一項、一六八条一項、以下「鑑定のための身体検査」という。)であると解せられるが、これは、特別の学識経験を有する専門家の手によつてなされることを要する反面身体の外表のみならず鑑定に必要な限りで身体内部の検査(軽微な身体傷害を与えるものを含む。)にも及びうる。ただし医療行為と異なりあくまで捜査の一環として行なわれるものであるから、おのずからその手段方法には社会通念上の限界があることはもちろんであるが、本件においては、鑑定処分許可状の指示に従つて、専門家である医師が被告人の膀胱内にゴム管であるネラトンカテーテルを挿入して採尿しており、この方法は治療及び検査方法として一般に行なわれており危険性も殆どないことは証人森内丈太郎の供述によつても明らかであり、任意の排尿によることができない場合の採尿方法としては最も適切なものである。ただ陰部を露出して行なうというこの方法の性質上、差恥心等の精神的苦痛を被検者に与えるものであることは否めず、殊に被告人のように女性である場合はなお更であるが、本件では外部から遮へいされた処置室において医師と看護婦らのみが立合つてなされており、このような条件の下では被検者に与える精神的苦痛はかなり軽減されるものと考えられ、また被検者が尿を衣服に染みこませるなどの方法で妨害する場合における安全確実な代替手段は、現在では未だ見出されていないから、右のような方法によることは必要やむをえない措置として許容せざるをえない。なお、覚せい剤の自己使用罪において、尿の強制採取は、被疑者に対し自白の強要にまさるとも劣らない心理的影響を与えるものだとしても、排尿の任意提出を拒むという意思は、憲法の自己負罪の禁止により保護される供述拒否の意思とは異質のものであり、尿の強制採取が黙秘権を侵害するに等しい違法なものとは解し難い。したがつて、本件鑑定処分許可状(第二回目のもの、以下同じ。これには前記二で認定したような条件も付されており、人権侵害を避けるための配慮が窺われる。)は、社会通念上相当な範囲を毫も逸脱しておらず、適法な令状であつて憲法三一条に違反するものではない。

次に、本件鑑定処分許可状による採尿手続について検討するに、捜査機関が鑑定処分許可状を得て行なう鑑定のための身体検査は、強制捜査として行なわれ、被疑者に対しそれを忍受する義務を課するものであつて、被疑者の同意を得てはじめて許される任意捜査とは区別されるべきものであるから、その執行の方法につき社会的相当性の見地からの抑制が働くことはあつても右身体検査に対する被疑者の同意は必ずしも必要なものではないと解されるが、本件においては、前記認定の経緯のとおり、被告人はビーカーに自ら排尿して採尿することをあくまで拒みはしたものの、二回にわたる鑑定処分許可状による尿の直接採取に対しては、同意をしたとはいえないまでも結局はこれを拒否せず、渋々ながらも自ら下着を脱ぎ診察台に上つて医師の導尿に応じたもので、その間警察官や医師が直接強制を加えた形跡は全く窺えない。もつとも、弁護人は本件採尿にあたり被告人が森内医師に「無理矢理尿を採つてもよいのか。」と質問したところ同医師がこれを肯定したことから、被告人がそれ以上の抵抗を断念したのにすぎず、実質的に直接強制を加えたものである旨主張し、被告人の当公判廷における供述中にもこれに沿う部分があるが、〈証人〉の各供述に照らすと、被告人は前記認定のように「どうしてもとらなきやいけないのですか」と質問したものと認めるのが相当であり、これに対して森内医師が肯定したことは、被告人には受忍義務があり拒否に対しては刑罰等の制裁も許されている以上、それは当然の答えともいえ、これをもつて直ちに直接強制を加えたものということはできない。仮に被告人がこれを内心実力行使によつても採尿されるものと誤解し、それによつて抵抗を断念したとしても、それは単に被告人の内心の事情にすぎず、右認定を左右するものではない。また弁護人は本件採尿は自分で排尿する旨の被告人の申し出を無視してなされたものである旨主張し、被告人の当公判廷における供述中にもこれに沿う部分があるが、証人石井吉雄の供述及び前記認定のように被告人は本件採尿前に着衣のまま床に排尿してしまつたこと等に照らすと、被告人が真に自ら排尿して採尿に応ずる意思でそのような申し出をしたものであるか極めて疑わしく、本件採尿に至るまでの前記認定のような被告人の態度に照せば、捜査官が被告人の右申し出をとり上げなかつたことが前記鑑定処分許可状に付された条件に違反した違法なものであるとは解し難いところである。したがつて、本件採尿手続は直接強制を加えずになされたものであるから、直接強制の可否を論ずるまでもなく(もつとも当裁判所は直接強制も可能であると解するが、ここでは詳論しない。)社会通念上相当な範囲を越えないものとして適法なものであつて、もとより憲法三五条に違反するものではない。

四以上の次第で、本件尿の採取手続は適法なものであるので、主文掲記の各鑑定嘱託書の謄本は刑訴法三二三条三号により、鑑定書は同法三二一条四項により、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書は同法三二二条により、いずれも証拠能力を有するものと認められる。

(重富純和 須藤浩克 小野洋一)

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